・忙しくて日記が空きがち。
・最近職場の照明が入れ替わって激烈に明るくなった。PCモニタへの反射も激増しておりそのせいか今日は午後から体調が悪化していた。サングラスやゲーミング用のレンズなんかで目の負担を軽減する必要を考えながら帰路。やることは溜まっている。
・でも帰宅してからは徐々に復活していく。仕事そのものに対する負担もあったんだろう。
・『しらふで生きる』を読み終わった。想像していたよりすごいところまで立ち入っていた。たかだか酒を飲まなくなるだけのことかと思いきや、どうやって生きていくかの人生観の話になっていく。酒を飲まなくなったのは「狂ったから」なのだけどそれを継続するには道というか補助線が必要になる。その芯を捉えようとすると生き方の話になるらしい。
・最近の町田康を読んでいないのだけど過去の著作の好きなところが、全部とは言わないが数割は酒によって書かれたんだろうなって気がしてなんか複雑だ。とくに町田康の作家性というかユーモラスなところは酒に酔って得られる無茶苦茶さと親和性があるのでなんかそう思ってしまう。ただ日中は飲まない、仕事が終わってからとルールはあったようなので酒飲みとアウトプットを結びつけるのは雑ではある。
・調べたら断酒は2015年かららしく、それ以降に書かれた小説もいくつか読んでる。そこではいつも通りに想像以上なので作家性は継続している。
・そう考えた理由の一つにエッセイとしてあんまりパッとしないせいだろうな。小説のように振り切れるでもなく本題に入るでもなく間延びしている様子がちょっとあった。連載ものだったようだし。論旨を筋立てていくところが良さでもある。小説に比べると、というか小説にも正しいのか間違っているのか判断しにくい正論が書かれていて、それが結構面白い。本書ではそこの理路整然さが増しておちゃらけがあんまりない。たぶんそれが寂しかったんだろうな。
・酒飲みとして書かれていることは分かるようなわからないようなだ。でもそこには数日前に書いた「涼宮ハルヒの憂鬱」の感想に近しいことが書かれていたり、やり過ぎはだめだとアリストテレスの中庸みたいな話もあり、内容自体は今の自分の不思議と親和性があった。自分は普通、なんなら普通以下の人間だろうし人間に幸福なる権利とかないし、酒によって普通が阿呆になるなら酒は飲まない方が良い。そういわれるとそうかも!と思える。
・なんとなく酒をやめてみようかと思ってついつい飲んでしまっている自分からすると分かりみが大きい。なぜ酒を飲むのか、あまり言語化していなかったが書かれていることとそういないと思う。
・幾つかあるのだけど酒を飲む前の生活の時点で「幸福状態が目減りしている」と感じてそれを復旧するために酒を飲んでいる、ような側面はある。つまり仕事で疲れたりして回復するために飲む。実際には回復しておらず認知をあやふやにして誤魔化しているだけだ。回復するには栄養のあるものを食べたり寝たりするのが適しているが即効性がないので酒への道が繰り返すごとに強化される。疲れたら酒を飲む、これが定式化すると疲れて酒を飲んで回復したつもりがあんまり回復しておらず、疲れが微増した状態でまた酒を飲むループに入る。
・町田康はこれを防ぐために、そもそも幸せにならなくてもよい、まで降りていっている。このへんはちょっと胡散臭い人生哲学書のような雰囲気があるが酒飲みの幸福を希求する精神はあんまり言い当てられたこと無い気がする。
・せっかく読んだし……と酒を控えていくか。最近は飲んだこと無いものを飲もうキャンペーンを張っていて積極的に飲んでいる。ノンアルコール飲料は全然飲んでないし結構色々あるので深堀り甲斐がある。
・SPECの4話を見て寝た。