20240930──部活とか生活とか仕事とか締め切りとか

・今日は業務が立て込んだ上に社内を1万歩ほど闊歩する用事があり疲弊した。とうぜん汗もかいたので帰宅後に銭湯へ行った。こういう時の銭湯が一番意味ある。

・夜、ラブトランジットを見る会をやった。2話目。やいのやいの言おうって意識もあって積極的に言っていたが卑屈さを隠さないことが割と難しい。ラブトランジットの出演者はこの世の中における華やかさの具現化と言っていい感じの人物が集まっておりTwitterをやっていそうにない。2話では各人の職業が明かされてそれが増している。

・別段その華やかさに目がくらんだり翻って自分を卑近するような感じは無いのだけどこれがキツくて見られなくなる人はそれなりにいそうな気がする。

・最近『涼宮ハルヒの憂鬱』のコミカライズを数巻読んだ。アニメも原作も世代なのに通っていないので2024年にたぶん珍しいぐらい新鮮に受け取っている読者な気がする。

・おそらく2巻のあたりで涼宮ハルヒ本人の個人的なエピソードが語られている。幼いころに野球を観戦しに行き球場に集まる数万人を見てこの世界には人間がもっとたくさんいて自分もその中の一人にすぎないことを悟った、自分は特別ではないと気付いたというエピソードだ。

・すげー永井均っぽいこと言ってんなと驚いた。これ自体がまあ普通の体験だと思うのだけどかつての人気のコンテンツの根本がこれなのかと拍子抜けもしたし、現代社会に生きる人間には少なからず理解されやすい命題っぽくて納得もした。

・自分の視点から見ると自分は「この自分」しかいないので覆しようもない特殊さを持っているように感じる。だけど、そういうやつらがほぼ無限大にいるという事実も同時に存在する。このどちらも事実なので組み合わせが悪く後者は数がすごいし現実味の厚みが凄すぎるので疑うとしたら前者になってしまう。そのときの自分ってなんなんだろうって感覚を人はどこかで得る。だいたいは大人になるにつれてマインクラフトの未到達地が生成される感じで自分の世界観が広がっていくときに伴うはず。中学から高校に上がるときとか、大学生になったときとか、就職したときとか。

・そしてそういう感覚は「そういうものだ」となおざりにして生活するのがよい。よいというかそうすることしかできない。部活とか生活とか仕事とか締め切りとかあるし。そこに拘っていると精神不調を催すし解決しようがない。涼宮ハルヒはそこに拘ることを可能にしていて現実にはできないことをするフィクションらしいなと思う。

・特別でないことで終わることはできなくで、特別でないところから出発していくしかない。そして特別になることが終着でもないところがミソだ。てか人生。

・話戻ってラブトランジットは構成もよく練られている。10人も登場するが1話ごとに焦点の当たる人物や元カップルは限られている。巧妙にまったく情報や表情が表立っていない人物が何人かいるのだけどマジシャンがミスリードするように目くらましされている。

・面白いのだけどたぶん見進めていってもこの種のコンテンツは何なんだろうなって茫漠とした気持ちは消えない気がする。悪趣味な金持ちはデスゲームに進出すると相場が決まっていてそれに同化するのが恐ろしくも惹かれている。また同時に『ブルーピリオド』の主人公、八虎の気持ちもある。これは俺の感動じゃねぇ~って気持ちも。

・若いアイドルなんかの人気はこういった他人の精気をコンテンツを通して抽出し吸収している側面があるような気がしていてかなりキュゥべえだ。

・ビールを飲んで日付を超えて寝た。