・騒がしい声で起きる。眠い。匿名ラジオを聞く。面白い。モンエナを飲む。食パンを食べる。バナナの存在を忘れていた。
・コアキーパーを触って家らしきものを建築する。
・chelmicoを聞きながら出社。楽しい。仕事する。特に楽しくはない。
・わーわーしてから帰路。なんとなく映画でも見ようか、でもそんな気分じゃないかもなと映画の始まる時間までうろうろして結局見ることにした。やるかやらないかでは結局やるほうが後から振り返っても良い結果になっているが、たんに後知恵バイアスなだけかもしれない。これをインクルードして意思決定に組み込めればいいけれど決断する時点の課題と精神状態は毎回違っているのであんまり反映されない。アリストテレスの習慣の徳を実装するのはムズイ。
・『ラストマイル』を見た。評判通り良かった。普通に楽しんで見られて体感時間がかなり短かった。
・このシリーズ的なもの、脚本の上手さを言及されることが多いし自分もそう言っている気がする。でも上映された映画を見て書かれた脚本と映像に反映されている部分を切り分けるのは結構無理なので何について話しているのかよくわからなくなってくる。映像段階で言えることはストーリーの構成、順序、登場人物の動きが違和感なくきれいに連動しているかどうかだ。それがないとおもしろ~いに繋がらず、そんな分析的で細かいこと見方をしていない観客も無意識にそれを読み取って「なんかも面白い」「なんか面白くなかった」と判断している気がする。不思議。
・そういう点では本作の脚本は良く出来てんなって思えるものだった。
・見る前に脈絡もなく「マジカルハッキング」という概念を考えていた。よくよくフィクションにはストーリーを展開させるために技術的考証が疎かなハッキング描写が登場する。そういうのを「マジカルハッキング」と名付けてみた。ネーミングの元ネタはマジカルニグロ。
・マジカルハッキングは自分の詳しい分野の粗探しに過ぎない部分はあるのだけど、もっと本質的には映画のすべてはマジカルであるって洞察を得られる。コンピュータをなんかいい感じにハッキングすることで観客が気にならない程度の導線を確保しているわけだけど映画は作りものなので全部が万事、実際はマジカルだ。観客もそのことは分かっているけど暗黙の了解としているので大抵は作りものとして明らかに変な部分にのみ言及する。
・たまにフィクションを見慣れていない人がその部分を指摘して変な空気になっているときもある。作りものであることは自明なので、作り物の変なところを言うレイヤーとは噛み合わない。
・『ラストスマイル』を見ていたら文字通りのマジカルハッキングが急に登場したので驚いた。ストーリー上は確かに必要なのだけどフラットに見ると結構ご都合主義だと思う。でもそれが明らかにされるのが大筋の重要な場面なのでその違和感がさっと洗い流されてしまう。こういうところも脚本の上手さなんだろうな。
・映画は面白くあったのだけどこの映画で描かれていることをどう受け取ったもんかな~と悩む部分もある。こう、資本主義的なevilさは今に始まったことでなくニュースレベルで日々読める状態にある。でもたいていのニュースがそうであるようにそんなに面白くない。なので興味を引かない。本作はそういう見過ごされがちな生活の裏側に感情移入しやすい物語を付与しているわけで、そこが評価されるのも分かりつつ物語の作用のでかさにびっくりしてしまう。物語がないとそれに引き寄せられない性質は人間に特有なんだろうな。
・「考えさせられる」って感想が出ていそうな気がするけどその態度はなんか一番ダメに思える。考えさせられてどうするのか。アリストテレスは勇気ある人は勇気ある行動をした人だと言っている。本作では巨大化した資本主義の企業活動がメインに描かれているがその先には顧客がいる。企業/サービスは入れ替え可能なので顧客とは基本的は現代に生きる全員と言ってよい。フィクションの観客を当事者だと思わせるようなパワーがこの映画にはある。考えることも重要だけれどその先のアクションにもつながっていれば希望だな~と思う。
・本作の題材ではないしろ、消費者という立場によって企業が行っているあれそれの結果を直視せずに免れている側面が不可避的に存在している。イスラエル-パレスチナ問題だけでなくiPoneの製造工場でもカカオの輸出国でもどこでも発生している。それにどのような態度を持つか。配達員に優しくあろうって分かりやすい教訓を得るのも世界をよくすることなのだけど、その先になってくれ~っと思ってしまう。
・と同時に自分はどうなのかと矢は舞い戻って刺してくるので面白さとシリアスが両立している。その点はやっぱりすごい。事件は解決するけれど根本的には解決しようのない問題が存在していることをこのシリーズものはずっと描いている。
・映画は満島ひかりって役者のちからが存分に発揮されていてすごい。海外から来たという設定で『シン・ゴジラ』の石原さとみを超えたな~って思った。あっちは庵野秀明的なデフォルメが実写には結構きつかったけど、本作の満島ひかりは言語と生活様式に由来するであろうコミュニケーションの多少のズレを見事に演じていた。あの人物像でしっくり来ているのが不思議だ。最初に登場する電車の一場面で、これは上手い役者だなって感じさせられる。
・また主演、脚本、監督が女性っていうのも象徴的だ。女性が活躍する(とくに組織で)場合はたいていミソジニー的な障害となる男性が現れがちだ。本作ではそのあたりはほとんどなかったのも良かった。実際クリシェになっているのもあるだろうが、あるあるとして女性の敵を意図的に描かないことで逆にそういったことを許容していないことを示している気がする。部分的にそういう対女性の男性意識が現れたりもするがどちらかと言うと社会的立場の保身や心情から来るものとして受け取れる。前に見た韓国映画の『国家が破産する日』は政治組織が男社会でミソジニストが登場することにメッセージがあったけど本作はその逆だ。
・満島ひかり(舟渡エレナ)に対する阿部サダヲ(八木)は結構それになりうるのだけどたぶん劇中ではビジネス上の勾配関係で成り立っていてジェンダー的な対立はほぼなかった気がする。
・それにしてもタイトルの意味を阿部サダヲが感情たっぷりに吐露するのでそこなんだ!?と驚きはした。
・体感時間が短くて楽しんでいたものの全体的にお仕事映画すぎるのでちょっと苦手なのかも知れない。ドラマシリーズもそうだけれどプロフェッショナルの仕事に対する態度と責任が中核にあるので実生活が別にそうでもない自分からすると気乗りしない。労働はクソだ~~~と思い込んで楽になろうとしている部分もあり、こうちゃんと仕事をしている人を前にすると頭が上がらない。
・気になった描写だと食事シーンかな。基本的に美味しそうな食事シーンが一切ない。仕事映画らしいのも食事シーンがなくて人間味がないからかも。仕事をしている人間ほど食事をしてないし、食べてもマクドナルドというのは解釈のしようがある。
・映画の終わりは解決しようのない問題の大きさがこびりつくのでなんとも言えない神妙さを持ってスクリーンを出た。これはリーマンショックを扱う映画なんかと似ているな。
・帰宅。フィットボクシングをする。終わりそうなところで鶏肉をフライパンに乗せて弱火にかける。30分チキン。シャワーに行ってチキンをひっくり返して余熱。切ったピーマンを周りに投げて付け合わせとする。カップヌードルProでカロリー不足を補う。
・スプラ3をやる。フェスに向けて遊んでいるけどみんな気合が入っているのか強いチームと当たる率が高い気がする。
・23時半には寝る。