・5時頃に外の音で目覚める。話し声が聞こえる。住宅街と繁華街の中間地点はこうなる。
・人が集まらないようにするハックを布団の中で考える。よく何気ない交差点に花が供えられていることがある。あれを意図的に置いてみるのはどうだろうか。あれに対する公的な許可や不許可は多分無いだろうしただ街なかに花束を置く行為はポイ捨てに近い、ぐらいだろうか。
・これを封じるものがあるとすれば倫理だろうな。人の死を悼むものをパロディとして利己的に扱うことは、たぶん良くない。それがどの程度良くないのかは微妙だけど。
・あと『変な家』みたいに変な弔いを道で発見して面白く展開する物語も書いて良いのか微妙な気がする。
・ああいった公的な空間での弔いに関する研究とかあるんだろうか。
・オモコロウォッチを聞く。
・何をやるでもなくゆるコンピュータ科学ラジオ、積読チャンネルの大童先生ゲスト回を見るなどして昼まで過ごした。
・昼食を経て何かをしないと!の意識で映画を見る。Netflixで配信され始めた『イベリン:生きた証』を見る。良かった。
・筋ジストロフィー症を患っていた男性が25歳で亡くなり、家族が彼の一生を悲嘆していた。残されたパスワードから彼のブログに亡くなった旨を書くとWorld of Warclaftのプレイヤーたちからたくさんの追悼メッセージが届いて、なにこれ?ってなったというドキュメンタリー。これはニュースにもなっていて知っていた。
・構成が変わっていて彼自身は一般人なので映像はホームビデオ程度にしか残っていないが、ゲームの世界にはすべてがログとして残っている。それをゲーム上で再現したアニメーションを作り、彼の人生を追う形になっている。通常なら似ている俳優を起用した再現映像がすべてゲーム映像になっている。
・本編ではゲームに関する説明が一切ない。「MMO」とかも説明されない。潔いというかゲームを題材としているものの純粋に難病のドキュメンタリーになっている。なので普通に泣いた。
・電子的な肉体を得て実現されることが描かれていてそこもグッときてしまう。毎日30分ぐらいゲーム世界を走って移動してるのを見かけていた、なんてインタビューがあって印象に残った。
・自分は特にMMOをやっていないし五体があるけれど電子的な肉体を通じて友達と遊んでいた記憶はやっぱりある。この電子的な肉体の捉え方にはゲームプレイヤー特有の感覚があると思う。映像の中でもゲームで遊ぶことに理解のない親からPCを取り上げられた話が出てくるが、やっている人間にしか分かりえない感覚だと思う。思い浮かぶのは藤田祥平のテキスト群で、そこに障害のハードルはないけれど電子の世界で生きているとき特有の感じが描かれていたように思う。
・たかがゲームじゃんとは言い切れるのだけど当事者からすると「そこ」こそが生活であり人生の場ってことがありうる。多かれ少なかれ誰にでもそういう場や物はあると思う。格ゲー、Splatoon、MGO、VRChatなりなんなり。変わっているように思うが普遍性はあると思う。
・お涙頂戴的な聖人の祭り上げのようなことをせず、人間関係の衝突なんかを描いているところも良かったな。
・目をはらしてスッキリした。
・運動不足なので外へ。上着を着たけど要らなさそう。歩いて遠めの無印良品に向かう。ショッピングモールとして繁盛していない場所って印象があるが無印良品週間にも関わらずレジが並んでないので穴場だ。イオンモールぐらいだと絶対に並んでいる。来たけど特に目的はないのでドリンクとクッキーを買った。
・しばらく悩んだ末にカルディで赤ワインを買う。飲酒せよ。重い鞄を持って再び歩く。上着は脱いだ。猫を見た。
・ワインを飲みながらダラダラしていた。こういう時に映画を見る決断したほうが良い。読めてない漫画を読んだりHELLSINGを読み返してからドリフターズを手に取ったりした。
・食生活の乱れ。アルコールに誘われて布団へ。