・時計を見たら6時前だった。寒いなか起きる。かまみくを聞く。モンエナを飲む。
・加湿器を注文した。やっぱり象印のやつを。スペック表を見ていたがあまり違いはない。ついでにアマゾンであれこれ買う。Kindleでマーダーボットダイアリーのシリーズやら千葉雅也とかを買った。
・仕事。午後から高速道路に乗る。後ろからは妙齢のガールズトークが聞こえる。何事も問題はなく帰りも高速道路に乗って無事。たくさん歩いたりはしていないがなれない高速道路の運転でめちゃくちゃに疲れてしまう。
・残り時間で資料をちゃちゃっとやって終わり。
・おにぎりを買って帰宅。
・日記を書く。前まで日記に何を書いていたのか思い出せないくらい文量が減っているような。たぶん一つにはあんまりSNSを見ていないので各トピックがないせいだな。XとBlueskyを言ったり来たりしているがどっちにも入り切っておらず漂っている。ニュースそのものもあんまり見てないしな。
・荷物が届くまで何も手がつかずアワアワしていた。
・加湿器が来た。当日配送すごい。思ったより大きくてネットショッピングだなぁ~って気持ちになった。形態は給湯ポットと同じなので意外性はない。本体が大きいので給水がやや面倒。その面倒くささをカバーするのに大きいペットボトルを横においてすぐに給水可能にする小技はなんか見たけど納得だ。
・外へ。図書館に行く。閉館30分前に開架をうろついていたら面白そうな本を見つけたので借りる。ひとつは審判のメンタルトレーニングの本。確かに審判って試合を左右しかねないプレッシャーに身を置くのでメンタル面の負荷が凄そうだ。それに特化した本ってのもかなりニッチでそんなのあるんだ~の面白さ。もう一冊は「ネコひねり問題」も本。猫が落下する時になんでひねって着地できるのか、を正面から取り組んでいるらしく(なにそれ)それを解説する大真面目な挿絵がたくさんあったので借りてみた。あんまり聞いたこと無いけど界隈では有名な「問題」なんだろうな。
・本を片手に帰路。食べすぎたかなと思ったらあすけん推奨の2000kcalに収まって90点近くになった。
・なんの気無しに『ラブ・アクチュアリー』を見た。良かった。舞台設定がクリスマスの5週間前から始まるのでちょうど11月末頃に見るのに適している。
・イギリス制作の群像劇で色んな人の恋愛事情がそれぞれに描かれる。いわゆるカップルの組み合わせそれぞれが交差したりしなかったり、ストーリー面ではあんまり効いてこない塩梅が逆に良い。伊坂幸太郎的なやつよりもっと大人しいのでそれぞれの事情にフォーカスできる。キャストがTHEイギリス!だし今でも豪華だな~って思えるメンツなのも嬉しい。ヒュー・グラントがめっちゃ踊る映画これだったのか。あそこは良いシーン。
・あとクリスマスに玄関先でフリップ芸をやるシーンも良かった。他にない。
・どんな映画なのかは冒頭で宣言されるがラストにまたそれが繰り返されるのでウォ~ってなる。人の営み、を特に恋愛面で素晴らしいものとして提示していてそれに乗っかれるところとアンチになりたい気持ちの両方がある。
・前提として海外特有のクリスマス感が自分にはあんまり合ってないのもある。家族と!恋人と!ていうのが強い。とくにラブコメ映画なので恋人と!って言われるとかなりうっせぇわになってしまう。異性愛に偏っているのもありつつ、ビル・ナイが演じる落ち目のロックスターの結末が予想外の方向に行くのには驚いたりした。2003年でこれだとリメイクとかがあればもっと普遍的なところに落とし込むパートが増えるだろうな。
・いわゆる不倫とされるものがスッとさしこまれるのでびっくりするところはある。その善悪の判断を主軸においておらず、男女の唐突な出会い即惹かれの良さが全面に出ている。恋愛って良いよね、がまずあるのでそれには不倫も含まれる。勧善懲悪とかではなくそれを込みで人の営みを凄がろうってことなんだろうか。あんまりそこまで達観していないので、見やすいように甘々に甘味料を足しているだけかもな。
・「出会って即惹かれ」を楽しむ映画なのは違いない。
・あと人の営みを愛でる行為には後発的に名称が付けられていてそこの印象に引っ張られて怒られそうな感想が湧いている。それは「ステーションバー」だ。『こづかい万歳』に駅の隙間で酒を飲みながら道行く人のリアルな人生に勝手に感動する男(村田)が登場する。そこでは「生の映画を見ているようなモンだよ…」と言われておりラブ・アクチュアリーは結構それなんだよな。
・村田は映画をフィクションにちゃんと切り分けたうえでフィクションでない本当(現実)の尊さを体感している。『ラブ・アクチュアリー』はヒースロー空港の再開する人々の様子から愛の存在に入っていく。本編はもちろんフィクションだけど村田と同様の切り分けの上で愛の尊さ、人の営みを愛でよう!に達している。
・時たま思うのだけどなんで「本当」に感動するのかは不思議だ。映画の冒頭で「Based on true story」って書かれていたりキャッチコピーに事実を打ち出したり、本当であることが売りになっていることがある。感動したら何でもええやろがい、というか感動に嘘も本当もないのに感動する対象が嘘と本当で何かが変わるのが不思議だ。
・嘘の有害さは分かるので嘘<本当の価値観が根底にあるのは分かる。世の中を嘘と本当に二分することは基礎的なことでそれをしないと判断がわやくちゃになってしまう。そこを攻撃しているのが昨今の陰謀論だったりポスト・トゥルースなんだろうが、そこから発生する心の動きまでは嘘にならないのに~~と思ってしまう。
・いわばフィクションでの感動は騙されていると言い換えることが可能だから、なんだろうか。本当の物語で感動する分に騙されていないわけだ。
・嘘と本当が悪と良に重ねられてしまうというか、二項対立は全部そうなってしまう。嘘の有害さは言うまでもないが実は本当の有害さもある程度は存在しているものの、あまり認知できない。嘘ではないこと=本当がベン図的に導き出せつつ実際は何を本当とするのか、本当の中身はグラデーションで色々ある。それと嘘とは言えないが本当とも言えない「誤り」の面積も結構存在している。二項対立ではそれが消されてしまうっぽい。
・いつもは映画を途中でやめがちだけど最後まで見切ってから寝た。