20241012──子供ってすごい

・6時におきた。モンゴルナイトフィーバーを聞く。山口さんがおらずにフワフワしているラジオだ。

・日記を書く。ZONEを飲む。バナナを食べる。

・そろそろ掃除機が欲しいかもと持って検討し始めたところでストップしている。買うのはまだしも、今あるスティック型掃除機の梱包の仕方が謎だ。段ボールに入れるにはあまりにも縦に長い。他の人はどうやっているのか調べても出てこない。そこでよくよく掃除機を見ているとネジ止めされているので多少なりとも分解はできるらしい。多分3分割ぐらいにはなるのでデカ目の段ボールに入れることになるんだろうな。

・掃除機の相場って全然わからない。なんとなく機能性と無骨さを求めるとマキタの掃除機になりそうだ。ただ職場にあるマキタの掃除機は爆音なんだよな。別に爆音でもいいか。ホコリを吸ってくれさえすれば。

・出かける時間まで読書。『嘘と正典』を読み終わった。表題作が一番長い。面白いのだけどなんかこう、もうひと押しを求めてしまう。知的なテーマの取り合わせと展開があるのだけど今読みたいのは長編的なドラマだったのかもしれない。あまりSFらしくないと言えばそうだし、書かれていること以上に想像的ふくらみを生むってところもテッド・チャンみがある。

・電車に乗る。まだ時間があるのでテアトル梅田の4階で時間を潰す。どうやらイベントの終わり時間と重なったようで人がごった返す瞬間だった。舞台挨拶なんかがあった気がする。バニララテを飲みながら『読書と暴力』を読む。アートと政治の関係について書かれていてこれからアート展示に行くので読んでいた。あまりそういう感じの展示ではないけど。

・なかで「万置き」という単語があった。万引きの逆で店に物をおいていく行為を指すらしく、単語の成立が不思議だ。そもそも万引きの由来は諸説ある系なんだろうけど行為の逆算から単語を作っているのが面白い。迷惑行為ではあるんだろうけど万置きは法的に裁かれるんだろうか。許可なくポスターを貼る行為なんかは怒られそうな気配はするけど。

・時間が来たので交差点をわたる。グラングリーン付近にできた新しい施設、VS(ブイエス)の前で待つ。夏の終わりだけど日差しがきついので日傘を指す。トイじゃないプードルを見てテンション上がる。合流してから『連続する共鳴 真鍋大度新作個展』に入る。

・全部で4部屋あってどれもアートテクノロジー!って感じの展示だった。入場者の動きをトラッキングしてそれを音と映像にリアルタイムで反映する仕組みがあるらしく、どんどん何かが生成されている。どこまでトラッキングが反映されているのか分からないが電子ドラッグのような体験が素面でできる。2つ目は横に長い長方形の部屋の一面に映像が投影されている。側面も投影の延長線上にあり、画面奥から手前に向かって来る流れで奥行きがあるように錯覚する。その間に絶え間ないドラムとシンセがほぼランダムに鳴り響いてて音楽のようでいて音楽でないギリギリさがある。10分かそこらで一区切りらしく、一回分を通してみた。不思議と疲れる感じはせずに何度でも見れる気がした。

・4つ目は縦に巨大な部屋でビル4階建てぐらいの高さに映像が投影されている。そこは座ってみることもできるらしく、巨大なポリゴンの人が踊っているのに合わせて仰々しいエフェクトが展開されている。Perfumeの公演だか演出をやっていたはずなのでまさしくそれだ。

・なんかすごい空間なのは間違いないが巨大な人の足元を子供たちが走り回っていて良かった。線状の光を避ける遊びをしていたりそれと関係なく走り転げていた。圧倒されるような空間も子供にとっては変わった遊び場になってしまう。子供ってすごい。

・あとそこで普通に昼寝している大人もいて、これもよかった。

・少し前に目の前でDJプレイをみた人物がそばにいるのに気が付いて、「おるね」と言い合った。声をかけるわけにもいかず連れがいるようで見るのも失礼かと思って視線に入る前にそらすなどした。インターネットでネタバレを避けるときみたいな目の動き。

・時間が少ないということで大阪駅で解散。時間が余ったので映画を予約して劇場へ。なぜか異様に混んでいたがおそらくアイドル系の特別上映イベントだろうな。

・『ジョーカー:フォリア・ドゥ』見た。前評判よりも楽しんで見たと思う。普通に面白いって感じでもなく真正面から臨むと「つまんない」部分は多い。何度か欠伸した。けどそれは意図されたものなのでそういうのを込々で映画になっていることが面白い。

・本作を評する言葉が本国上映から翻訳されて届いてしまっているのがあんまりよくない。答え合わせのようになってしまう。続編ではあるがこんなに前作に焦点を当てた続編ってなかなかない気がする。前作で提示したものを丁寧に解釈しなおしていくので難解さは少ないし誤読のしようがあんまりない。前作は誤読されまくりで大変だったんだろうなって気持ちになった。

・ジョーカーの神話を解体していくのが本筋で『ミスター・ガラス』みたいなことを大真面目に続編でやっていることが奇怪だ。全編がほぼミュージカルなのも摩訶不思議な体験だった。

・映画では急に歌うことがままある。特にミュージカル映画はそういうものとして観客は見るし映画の中でも問題にされない。でもサスペンス映画で急に歌いだすのと現実社会(たとえば職場とか電車とか)で歌いだすことはだいたい同じ作用があると思う。本作はこの「ミュージカル的なお約束」と「歌いだすのは変」の境目をなぞっている感じがする。ただ映画として成立させるために前者が採用されているが観客目線では完全に後者になっている。ここが逆転していてジョーカー(アーサー・フレック)が歌い始めるたびにこいつは会話ができない人間だなと思ってしまう。

・ゆる言語学ラジオでたまに会話の成立に必要な「グライスの公理(?)」が出てくるが、本作では会話の成立しなさが歌によって表現されていると思う。現実に、何かを質問して歌い始める人がいたら戸惑うと思うだろうしこの映画ではその瞬間がなんどもある。なんなら最後までそれだ。

・映像が叙述トリックのように内面描写の嘘なのか、本当なのかという演出やミスリードが前作でもあったけれど本作はそれが歌でなされている。変な映画すぎる。

・個人的には1作目に特別な感情はもうそれほどないしあんまり覚えてないのが功を奏したのかもしれない。

・あとピエロの映画として初志貫徹したなぁという気持ちもある。

・ラストの落ちをどう思うかが人によって分かれると思うのだけどあまりにも大真面目で当たり前で救いのない「That’s Life」は今の自分の心境にあっている。これは町田康の『しらふで生きる』の影響だと自覚しているが、人間に幸せになる権利は無い。わりとそういう映画だと思う。