20240321──無根拠にもっと生きていてぇ~んだよ私は。

・寝起きが悪く5時ごろに起きていた気がする。あきらめて6時前に布団から出る。コンビニへ行ってサラダチキンを得る。匿名ラジオを聴きながらプランクとかしてシャワーを浴びた。

・桔梗信玄餅メロンパンを食べた。甘くてもちもちのパンだ。

・Balatroをやって時間を潰しつつSteamセールに駆け込む。8本ぐらい買った。無印良品は自分の体形やありもしないスタイルについて思案していたら何を買っていいのかわからなくなり始めたので保留。スタンドカラーを着ると面白くなっちゃうんだよな。

・家を出る。霜が降っていたようで道行く自動車のボンネットが白い。当然寒い。

・仕事。年度末に向けていろいろやる。耳が空いてたのでジャン談を聞く。しばらくぶりでちょうど年始から聞いてなかったようだ。ジャンプへの興味が薄くなってきたのは他人の感想を気にしなくなったのもいくらかありそう。感想のリアルタイム性は本質でないにしろビタミンみたくあるに越したことはない。

・帰路。おにぎりを買うがチョコタルトも買ってしまう。カロリー過多。

・『正欲』を見た。家だったのであーだこーだ言いながら見終わった。なんかいろいろ言えるところがある映画で感想が盛り上がるタイプだと思った。

・タイトルにあるように欲望の正しさが語られている。正しいと認識されない欲望を持った人は正しくない人になってしまい社会では生きづらいよね、と言っている。それ自体はなんか説得的で、代表例として水好きが描かれる。そういった趣向の存在を映画を見るまで知らなかったのだけど程度か題材選びの問題か、なぜそれが生きづらい深刻さと結びついているのかあまり分からなかった。

・その性質が理由で生きづらくなるのか?普通に仕事が面白くなかったり友達がいなかったり周りの人間が自分に合わなかったりするからでは?と思ってしまった。

・そういうことを思ってしまうことが社会的な、他人の無理解によって生きづらさを生んでいる原因だ。と巡りめぐって言われるのも想像できるが他人の指向がどうであれとやかく言わなくない?となってしまう。けれどこの映画に出てくる人物はことごとくデリカシーが無くバッドコミュニケーションをしまくっているので凄い。そんなこと言うか?っていう人が頻繁に出てきてその辺の世間の描き方は偏っている風に見えた。何もかもを恋愛と結婚と出産に結び付けるヘテロな世間ってこうなのか?幸か不幸かそこから距離を意図的に取っているので全然わからない。職場にやってくるあの妊婦が一番迫力があり凄かった。

・正しくない欲望を持ってしまうこと、でなく自分にとっての理解者がいないことの不安定さが別にあるように思う。自分がどんな人間であるか、と周りとの折り合いは部分的には重なるがイコールではない。後者に合わせることが不可能的だからこそ苦悩しているのであるが、先立つのは自分という存在だ。

・もちろんそういう自分が存在してしまうから問題が具現化するのでその結びつきが方程式のように導き出せてしまう構図はある。だけれど自分が存在している決定的な事実を前にして他人からの理解が無いから苦しいのだ!と結論している(風に見える)のは錯誤に思えてしまった。

・自分が自分であるゆえに理解者がいないのは確かだろうが、理解者がいないからダメという結論は論点先取的なマッチポンプかと思う。

・この映画では生きづらさと孤独の解決が理解者を見つけることに絞られている。そこに結構反発したくなっている。なぜならそれは恋愛至上主義と結果的にあんまり変わらないからだ。もっと孤高に、一人の人間が一人の人間としてプライドもって生きていったらあかんのですか?と思ってしゃーない。そしてそれは別にそういった社会からつまはじきにされるような性質をさほど持っていないのも関わらず理解者がいないという引き目から来ている。普通さに安心感を得るのが普通でない人の望みのように描かれているがそれこそが普通すぎて自分には当てはまっていない。例えば不良が普通を忌み嫌って突飛な行動をするのだけどそれこそが普通の不良らしさになってしまう、ような。疎外感を和らげようと試みる映画から疎外されてしまっているのですけど!って心の臓が言っている。

・伴侶的な理解者を得よう、基本的にはその終着が気に入らないのだと思う。出てくる人物がその件で悩んだりしているがみんな友達がいなさそうだしなんか疲れているし、端的に元気がなくて鬱っぽい。もっとみんなメンタルクリニックへ行ったりしたほうが良いと思った。もしかして行ってるのか?犬や猫を飼ってもいい。ぬいぐるみも良いかもしれない。それは根本的な解決じゃないと一刀両断されるかもしれないが、自分が自分であることは変えようがない。本作では性質と症状(男性恐怖症など)が同列で語られているのがちょいややこしい。

・自分が自分であることを単に誇る、そういった可能性が微塵も見えないのが残念というかそれがちょっと強靭的すぎて無理っすなのもまあ分かるけど。

・自己の悩みの比重が大きいだろうが普通に仕事がおもんなさ過ぎて病んだりしていて水が好きだとかの性質と関係ないところに現代社会的な普遍的問題があるはずなのに、そこにはあんまり目を向けていない。

・私は孤独感をさほど感じない人間なので周りに馴染めないとか「地球に留学している」といった悩みの感覚があんまりない。なのでそもそもこの映画の客じゃないのだと思う。そういうことを多少思っても精神的に疲れていたり端的に寝不足であると結論付けているし、実際そうだ。そう思える人は自身を客観視できていて私はできていない。自分の視点からはどこを探しても自分が見つからないので、どうもそう感じることができない。あと普通に留学経験が無い。

・それと程度問題として水好きが映像的に映えているのも良くないと思う。なんかポカリスエット的なエモさがあって、新垣結衣のキャスティングに対しても「目に見えるものに騙されんなよ!」と言いたくなってしまう。もっと社会的に正しくないとされる欲望の在り方はあると思うし(実際映画の後半で登場して実際最悪だが)視覚情報にオシャレさを加えているのは本質を覆い隠すつもりなのかと疑ってしまう。奇麗だから良いとか思わせるようなところが多少ある。そもそも心的な自由と行動の自由は別やろがいって当たり前のことも思ってしまう。

・許される許されないという線引きは明確に存在しているし、そういうことを問うために倫理学とかがあるのでもっと倫理学について学ぶことが救いに……なりそうにないのがな。

・理解者を求める人がいる反面、稲垣吾郎演じる判事が理解者を装っているものの全然なにも分かっていないというのは良かった。社会的に重要な役職をこなしていて確実に善人ではあるが家庭は崩壊しつつ妻や息子の絶対的無理解者であるって分厚さが効いてくる。このキャスティングが最後に生きてくるのですげー良い。あの眼にさせるための2時間と言っていい。あの場面は新垣結衣も良くて締めのシーンとして重厚で格があった。

・風船が膨らませられないといったシーンは不能な男性性のメタファーなんだろうか。右近さんに対する接し方とかは浮気を疑っている節が感じられ、思い描く男性性を演じるようとして空回っている。ように見えるが本人はそのことに自覚的でない感じが寒々しい。

・理解するとかされるとか、本質的には無理なので共感するされるの間柄こそが身の丈に合った具体的な関係性の目的だろうが、これも結構ハードルが高いのが現実のツライところだ。

・物語としては終盤の展開にかなり無理があって恣意性を感じてしまった。映画『BLUE GIANT』を思い出してしまい、これのために作られたお話じゃん!と素に戻る瞬間になっていた。水好きやら新聞記事やらが伏線的にそこに向かっておぜん立てされていて、映画ってそういうものなんだけどあからさま過ぎて目が覚めた。

・あと現に被害者がいるならまだしも物証も何もない状態の人間に罪状を言い渡そうとすることってかなり無理だと思う。加えてそこはオープンエンド的にしらを切って終わるというのは文学的とかで無くズルい気もした。問題提起だけしてくれるなよ。

・ほかにもいろいろ言えることはある。着衣のシーンが長くてだっる~~~~ってすげー言ったとか、音楽の使い方があんまりピンと来なかったとか、このダンスの曲チコカリートじゃない!?とか。

・多様性の映画だとは思わず結論としては自分の映画でもないな、って感じで見終わった。無根拠に自分は存在しているのだから無根拠にもっと生きていてぇ~んだよ私は。正しいとか普通を疑え~~というのは同意。

・ちょこちょこ間食していたので煙草を持って外へ。室内の喫煙所を新たに見つけたのでそこで『倫理とは何か』を読んだ。なんか面白いパラグラフで『正欲』に結び付きそうな内容だった。理解はしてないがここは大事だから何回も読み直したほうがよさそうだ。そういう発見があるだけで読書してる甲斐ある。

・買い物をして家。湯船でふっくらすずめクラブを見た。緑茶ハイなものを飲んでいたがカフェインがどれくらいあるか結局わからないまま。ウーロンハイなんかもあんまり飲まないが基本的にお茶の延長線上で飲むものなんだろうなと思った。美味しいウーロンハイを飲ませてくれ。静岡のウーロンハイが美味しかったりするんだろうか。

・23時半ごろに寝た気がする。