・今日は映画を見たりホラーに触れたりの日。
・朝起きた勢いで映画館に行った。『ノック 終末の訪問者』、ようやくシャマランを見たらいつものシャマラン映画だった。
・「現実」vs「超常」の構図をもっているのはここ最近のシャマラン映画の特徴だと思う。ホラーじみたちょっと不思議な話をやりがちだから、と言えなくもないが非現実的な現象に対して水をぶっかけて現実に引き戻そうとする作劇がこうも前に出てくる作品はあんまり見ない。普通、起こりえない現象は「映画の中だから」と前提をもって(映画内の)現実に起こっているとしている。あるいは「そういうジャンルだから」と観客と映画の間でお約束が成立している。ところがシャマランは常にその熱を冷まそうとしていて、私は結構それが好きだ。ひとつには「ポストトゥルース」に代表されるような真実性の不確かさが現代的なテーマとして含まれるように思うからだ。映画だからって起こりえないことを信じるのか?って問いが毎回発生していて、映画の嘘さを案に気づかせようとしているのかなーと毎回勘ぐってしまう。フィクションの中の現実でなく、現実の中のフィクションを描いている、とでも言えるのかな。?
・今作のあらすじは、家族(ゲイカップルと娘)の家に見知らぬ4人が来て誰かを殺さないと世界が破滅する!と決断を迫る、だ。このあらすじから想像できることが概ね起こるため、予想を超える面白さは少なく、アイデアや風呂敷の広げ方に惹かれるシャマラン映画っぽい。
・フィクショナルな部分は世界の破滅と家族の犠牲が天秤にかけられていることだ。もちろん最初は家族側が信じられずに抵抗する。一方、4人側がそれを信じているのはヴィジョンを「見た」からだとされる。ここが面白い。人は何をもってそれを信じるのか?という話なんだけどそれが「映像だ!」と映画という媒体で突きつけるのは批評性があると思う。この4人が家族に信じてもらうよう言葉を尽くし行動を起こすが、まあ信じてもらえない。それが反転するのも結局「見ること」ひいては体験に集約されていくさまはある種のコミュニケーションの限界性や無理性が出ている気もする。言葉でいくら説明しても信じてもらえないことはわりと現代性だと思う。インターネットはまさにそれで、なにかを「見て」しまった人に論理的な説明が聞かないのと似ている。世界が破滅するのに論理とかは無いのだけど。
・本作の前評判をちょっと知ってしまい、議論?されていることも大体わかる。この4人の訪問者がはっきりと宗教的で、結局のところ映画における正しさが肯定しづらい。結末についてもそれが正しかったのか、疑問符をつけようもなく、ゲイカップルであることもややこしさを招いてる。個人的にはシャマラン監督は映画的ステレオタイプでない固有の問題を抱えた家族像を毎回取り扱っているので今回もその延長線上だと思う。自身が人種的マイノリティーであることは当然ながらも、LGBTQやジェンダー、その他マイノリティの話を主体的にしたいわけでは無さそうだが、適当にやるわけでもないので結果的に微妙な塩梅になってしまっていると思った。一見仲良く見える家族だけど緊急事態には隠されていた関係性が浮かび上がって~などは如何にもありそうだけれどそうはしない。
・変な映画であるのはシャマランっぽさであり、特にラストのカーステから音楽を流すor流さないのシーンは明確に変だ。喜怒哀楽のどれでもない感情を作ることは異様に上手く、見たことないエモーションになっている。このあたりのとらえ方は宇多丸師匠のシャマラン分析に引っ張られている気がする。
・今作については突きつけられる不条理な命題の正しさを問うよりも、なぜそのような命題を突きつけられるのか、なぜ正しいものが正しいのか、っていうメタで哲学的な思考を促す映画だったように思う。ジャンル映画としては超常的な命題が真であれば面白い。けど本当は偽だ。現実世界に超常は存在していない、とされており、存在しないものを望むのが映画だ。もし本作の着地が「超常」を否定したものだったとしたらあんまりおもしろくないと思う。そうなると、こういった変で不条理な命題を映画の中で真にしているのは観客になるわけだ。最後まで超常に冷や水をぶっかけていたとしたら娯楽にはなりづらいだろうし、歓迎はされないだろう。
・でもそういう映画もありなので、いろいろ考えすぎかもしれない。
・なんか考えが分散してきたな。見て思ったことはよく分からんことが正しくても理解されづらいよね~だ。映画を抽象化するとそう表現するしかないが、シャマラン映画はそういう話が多い。『アンブレイカブル』も自分のスーパーパワーを認めるかどうかだし、『シックス・センス』も自分の存在の捉え方に関する話だし。何かを達成するかより何を信じるかにストーリーの根幹があるように思える。前作の『OLD』もわりとそう。
・OLDのよさは起きることすべては普通のこと、な部分だ。誰にでも訪れる「老い」やそれに伴うライフイベントが急にやってくるとすげー怖いっていう面白さがちゃんと出ていた気がする。前作に続いて原作ありの映画化にはなっているが、ちゃんと本人が好きそうな題材を扱っていてSCM(シャマラン・シネマティック・ユニバース)への資金調達になればいいのだけど。本当に見たいのは『ミスター・ガラス』の続きだ。
・帰路、チキンタツタを得た。あと豆も。マクドナルドの豆、食わんでよろしいことが分かって有意義だった。
・『近畿地方のとある場所について』を読んだ。わりと飛ばし飛ばし読んだのでちゃんとは把握していない。
https://kakuyomu.jp/works/16817330652495155185
・おそらく一番面白い読み方はリアルタイムで更新を待つ、だったんだろうな。最後まで読んでしまうと、あれ?終わったの?となってしまった。映画や小説のように謎を追う主体がちゃんといないので、常に回想みたいな浮遊感があった。当たり前の怪談ではなく、様々な語り口の寄せ集め、コンピレーションのような楽しさはあった。かつてのオカルト板の実況は懐かしさがあって良かったね。書籍化するようだけど形式の勝利というか、そう何度も出来ない形とそれに見合った内容がハマって上手くいってる稀有な例って感じ。
・消化不良を抱えたので映画『カルト』を見た。これか~~~~~ってなった。タイトルだけは何度も見ていて話題になっていたがその理由が分かった。ネオ様~~~~~~って。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B08B53Y2YQ/
・夜にビールを飲み冷凍チャーハンを食べて食生活が終わっていく。
・モンゴルナイトフィーバーを聞きながらゲーム『SIGNALIS』をやり始めたが、バイオハザード1作目みたい。モンフィーを聞きながらやるゲームではない。
・ニコラップを思い出してスマフォにニコメンドを全部入れて再生しながら寝た。懐かしい。