10/20
風邪になった。
原因はおそらくいくつかある。寝るときに面倒くさくて扇風機をつけっぱなしにしていたことがトリガーだろう。
風呂上りはまだまだ暑くて扇風機を多用する。それを消さずにいたのが敗因。
今月は仕事が詰まっていたという疲れも出たのかもしれない。
どちらにせよ、風邪はつらい。風邪というと日常的な病気という雰囲気があるが、れっきとした辛い病だなってなる度に思う。
なので誰かが風邪になったと思ったら、ああ辛いんだろうなという予測が働きやすくなった。
自分のことのように、他人事ではなく、といった言葉は教育的にも道徳的にも世間一般的にも頻出するワードだけれどそれは超むずい。
マジofマジでいうと、その状況に陥らなければ分からないことは山ほどあるし、それを想像してシミュレーションするのにも限度がある。
そういう能力がだれにでもあるわけでなしに、それが無いと人としてどうなん?って扱いがされるのは結構気になる。まあされたことはあんまりないので一人相撲なのだけど。
もしなにか辛い立場の人がいたら、俺にはわからんがそれは辛いのだろうという肯定を発揮するぐらいしか無い。
『ロビンソンの家』を読了した。
打海文三の深堀り月間が何か月も続いている。その一冊。
先に『一九七二年のレイニー・ラウ』の短編で触れられていた小説だ。
ミステリ、とも言えないミステリで打海作品の中では文学寄りだ。
話の終わり方も含めて解釈を任せるような、どっちつかずな印象を持った。
作中作の使い方や、性と道徳に関する議論、打海作品らしさはちゃんとあって、振り返ると面白いけどなんで面白いのかはよく分からんタイプだ。
『ボーダー二つの世界』を見た。
友人とその妻と一緒に見たが、風邪の中見るには辛みのある、緊迫した映画だった。
デートムービーでは絶対にない感じで、いろいろと思うところが生まれる映画なのは間違いない。
他人と違うということ。それは容姿としてこの映画では表徴的に描かれているけれど、社会の異端者としての立場はもっと根深い心的なものだ。
この世界に居所が無い、理解者がいないというマイナスからプラスへと転じる物語は数多くあると思うが『ボーダー二つの世界』はそれの語り方にパワーがある。
本作もそういった主人公を肯定し、生きることを推し進めるような物語ではあるけれど、そこに着地するまでが超力強い。
パワーというか食感としての硬さがとてもあると思った。
飲み込みやすい流動的なものでなく、口よりも大きな岩のような感じだ。
風邪だったのでヴィジュアル面と重たいめの演出で結構エネルギーを使った気がする。
特殊メイクによる主人公ともう一人の顔が凄くて、おそらくストーリーの一部分はラブストーリー的側面があると思うのだけど、なぜこのヴィジュアルだとハリウッド映画のようにすんなりと受け付けることができないのかって問いが発生した。
それがルッキズムや!ってことなんですけど、そういう揺さぶりも含めて見ながら考える映画は風邪には向いていない。
この映画どこに着地すんねんって体をこわばらせながら見ていた。
描写のダイレクトアタック!!!感、逃げないド直球のシーンのいくつかはインパクトあり過ぎて覚えているけどあんまり思い出したくはないかな。
主人公が犬に嫌われるってのがよく善人の表現として動物に好かれるの反対でありつつ、ほかの動物には好かれるというのがひとつこの映画を表している。
自己肯定とかに関しては『JOKER』に通じるところがあると考えたのだけどあまりまとまらず。
そのあと飲みに行った。
映画見た後に他人に感想を伝えることに慣れていないというか、大体何時間かかけて文字に起こしたりして形成していくから、その場即興でこう!というメッセージにするのが苦手。そういうことが分かった。
体調が悪いというのも相まって話のネタをぶつけることが出来ずに、もうちょっと投げつけるようになろうかなと思った。
話の中で逆転裁判を推され、帰ってきた。
いや、あんまり推されてはは無いな。