20240318──人生には万事こういうことが起こりがち

・変な時間に(おそらく4時)外からの音に起こされて眠い~~~となったまま過ごした。6時過ぎにアラームを聞くが脳が睡眠を欲している。音声放送を聞きながらモンエナを買いに行く。

・コンビニに行く気力を無くして厚揚げを焼いて食べたりカップヌードルProを食べたりした。

・ジャンプを読むともしかして先週のジャンプを読んでないかもなと気づいた。案の定読んでいなかったので2号分を読んだ。

・Balatro勝てんな~とプレイ時間が14時間超えても言っている。

・仕事。今日締め切りの仕事をもりもりやっていた。上司がどこぞへ行きぷよぷよのコンボみたいにやることが振っている様子が目に浮かぶ。昨日今日とこれしかしてないな~と思いながらやることやって帰路。

・昼ご飯を忘れていたのでおにぎりを買って帰る。

・『オッペンハイマー』と『自由意思対話』を読んで集中力が切れた。『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦 』をポッケに突っ込んで、タバコを片手に喫煙スペースに行ってさらに読書した。結果としてあんまり集中はできていない。返す刀で買い物してから長風呂。

・湯船につかりながら『アインシュタインと原爆』を見た。Netflix制作のドキュメンタリーで内容はタイトル通り。前半はナチスとの関係性、後半は原爆開発の引き金を引いたことへの後悔や科学の在り方について語られる。

・アインシュタインの発言がそのまま再現ドラマ風に演出されている。お堅いドキュメンタリーでないので見やすいが、功績や理論の解説はほとんどない。またマンハッタン計画の切っ掛けになったといわれる大統領宛の手紙も出てくるが本人の内面に焦点が当たっているので事態の複雑さがさほど出てこない。あとシラードやオッペンハイマーの名前も出てこないので歴史的な事実への解像度はあまり上がらない。

・かなり政治的な部分に触れると思うのだけどそこは脱色されている。反ナチス反ファシスト的な部分は世界共通だろうしアメリカっぽいが、原爆投下に関する姿勢はどっちつかずで多くは語られない。被爆者の映像が流れるあたりはそれなりに意図は感じる。

・ノーランの『オッペンハイマー』は今月末公開でまた見ていないがなんかそこで描かれる姿勢と結構似ていそうだなーと思った。アメリカ的な感情は原爆投下への肯定が支配的であることは知られている。時間がたつごとにその意識が徐々に変わっている気がする。『サピエンス全史』かなにかでハラリが人命第一主義的なことを言っていた気がするが、そういうもので過去の捉え方も変わっているんだろうなって思っている。

・価値観や判断には時代性が固く結びついていることは想像しやすい。ただそれが実際どんな風に結びついているのか、あまり実像を結ぶことはない。時代性を判断する視線にすら時代性が纏わりつくので見たいものは直視できない。時間経過によって距離をとることがそれを可能にし、原爆への感情の変遷はそこが読み取りやすい気がする。

・アインシュタインもその時点はこれしかないと思う選択をして後発的にそれの可否を問うている。それってしゃーないなと思うのだけど、自由意思のある世界ではそこに責任がついて回る。ていうか人生には万事こういうことが起こりがちであるっていう本質がただあるだけなのかもしれない。

・確かアインシュタインは自由意思を疑問視していたはずで、自分の功績は自分に依るところではないと言っていた気がする。環境や運がそうさせたのだと発言していたが、手紙に関する後悔は例外なんだろうか。それもと自由意思がなくともそれをしてしまったという主体である、そのことに本能的な後悔を抱かざる得ないんだろうか

・結果的にドイツは原爆開発に失敗したが成功していたとしたら~というifの物語が想像される。もし○○だったらと仮定して選択の正しさを吟味するのは一見正しい気がするがどうにも後出しジャンケンじみている。トム・ハンクス主演の『ハドソン川の奇跡』はそういったことを描いていたのをなんか覚えているな。

・早めに寝ることができずにいつものように失速して布団に入った。