・深夜三時ごろに頭痛で起きた。暗闇の中、ロキソニンを探し当てて服用した。布団に戻ってゴロゴロと寝付こうと唸る。いつのまにか寝る。
・7時ごろに起床。頭痛は治まっている。油断は禁物。音声放送を聞きながらモンエナを買いに行く。台湾旅行の話。ちからが必要。
・Balatroをしながら時間を過ごす。勝てない。
・出社。まだ寒い。ジェイコブ・コリアーの新譜が出ているので聞く。展開が変なアイドルの曲みたいなやつある?
・怒っているジェイコブ・コリアー、ジェイコブ・こりゃー!
・頭痛の影がチラつきながら仕事。ミスってるなコレ!というものを見つけて修正した。違ってたっす!の精神で最後まで行く。
・定時間際に依頼を思い出して上長にこれっす!という体で提出して帰宅。
・朝から雨が降っていて気温も低い。体調も低いので湯治に行く。自分の片頭痛が脳の血流が増えることに起因していると自己診断していて血行促進は悪手のはずだ。けれど湯治はなんだんかんだで結構効くので行くほうに賽を振った。血流がバグるのは副交感神経やらストレスによるもので湯治がそこに効くんだろうな。
・1時間ほど入る。高温サウナは敬遠してミストサウナに入りがち。雨がしっかりと降っていて露天は寒くなっていた。
・面白くない大学生が騒いでいるなと思っていたが裸眼でちらっと見る限りしっかりと大人だったのでびっくりした。なぜ大学生は面白くないんだろうかと考えていたので前提が勝手にひっくり返ってしまった。
・大学生の面白く無さは結構指摘される。そしてそれは特に男性のことが多い。で、よく考えれば小学生でも中学生でも高校生でも同じ感情を抱くことがある。そこでの面白く無さの性質は同じな気がした。また性別を変えてもそういうケースは思いつくのでひとえに男子大学生に問題はないようだ。本体は別らしい。
・たぶんそれは身内ノリ、内輪ネタが可視化されている状態の嫌さなんだと思う。特定の文脈/カルチャーを共有してるとその中でしか通じない用語や笑いが自然とできてその交流が盛んになる。なぜならそれこそが面白くて楽しいからだ。これを拡張すれば特定のアニメのファンが盛り上がっているさまがダルかったり深夜ラジオリスナーのノリがきつかったりするのと性質は同じな気がする。自分が分からないことにはうるせ~~~しらね~~~と思うしかないので結構不可避だ。
・内輪ネタがある分にはいいけれどそれが目の前に現れるとどうしようもない。エレベーターの中における放屁のようなものだ。
・なぜこの身内ノリが男性に結びついているのかは分からない。単なるステレオタイプか、経験則か。公衆の面前でほたえる人を思い浮かべると大抵男性である。女性でも思い浮かぶイメージはひとつあり、それは女子高である。これは内実を知らないので本当にイメージだ。想像はイメージです。
・妙来の女性による井戸端会議も想起されるがあんまり身内ノリの枠内には収まっていない。会話が目的だからだろうか。
・とかを考えて湯を出た。休憩スペースで本を読む。『虹の解体』を読んでいるが、ドーキンスの言いたいことのほとんどが前半で言い終わっている気がして長く感じる。科学が物事の原理を明らかにしたとてその良さや美しさが失われるわけではない、と言っている。それがタイトルの虹である。それを直接的に前半で言ってるのであとは科学の重めなエッセイになっているがそれなりに面白いので読んでしまう。
・宇宙戦争のラジオドラマのパニックについて言及していてドーキンスもそういうのを書くんだな~と思った。これの話は有名だが実際には起こっていない。ラジオを聴いた人が本当に宇宙人がやってきたと思いパニックに!と誇張された面白話に過ぎない。スタンフォード監獄実験なんかも演技だったことが明らかになっているし、こういう眉唾面白話はさほど駆逐されずに残っている。もはや諺みたいなもので正しさは棚に置いて言いたくなってしまうんだろうけど、真偽を知っていると単なるノイズだ。
・子供は幼虫、と突飛なことも書いていたがこれは面白い。子どもは大人の言ったことをすぐに信じる傾向がある。これは大人になるためになんでもかんでも知識を取り込むのが手っ取り早いのでとにかく食べる=幼虫という比喩だ。それに合わせて大人なのに騙されやすい人は子供であるとも言っている。多くの知識を得て批判的に判断できるようになる=大人になるとすれば、似非科学や陰謀論に騙されている人は子供なのだ。疑わないことに心地よさがありそれに頼っているのだ、とか書いていて科学信徒のドーキンスらしさを感じた。
・ほったらかしになっていた『大阪SFアンソロジー』の一編を読んでから帰路。小雨、傘を差さずにコンビニでパスタを買いに寄る。
・オモコロチャンネルなんかを見てから日付が変わる前に就寝。