・昨夜レンタルした『風立ちぬ』を見た。やっぱり映画として好きかも。
・2013年公開なので10年前だ。たぶん劇場に見に行っているはずだ。そのあと何度か見返しているが配信サービスばかりの利用が増えてジブリ作品からずいぶん遠ざかっている気がする。テレビもないし。
・すげ~面白いとは言えないけど淡々として着実に進む時代や病状、飛行機が作りたくてそれ以外ない堀越二郎の冷めた感じがどうにも味わい深い。庵野秀明というこれ以上ない怪演は何度見てもバランスがどうかしていて新鮮だ。この映画の堀越二郎は変な人だしダメな人なのでこれ以上ない。
・「牛がいる」そんなことわざわざセリフにしなくてよいのに、みたいな細かなフェティッシュがたくさん詰まっている。
・あと記憶よりもずっと「男女」を描いていたのも新鮮に思えた。結構ギョッとするというか、二人が急に男女として現れるのでヒョォってなる。好きや嫌いを超えて愛し合っている状態がババンと出てるよね。
・昼、コンビニのドライカレーを食べてからスプラトゥーンのフェスに興じた。二日目なのでトリカラバトルもあるが、バニラ対バニラ対バニラとなっていた。
・迷っていたが折角だし2回目の『君たちはどう生きるか』を見に行った。コンディションが悪くて、前半のほうはやや眠気と戦っていた。中盤以降はスパッと目が覚めていたのだけど、視界の端にいる二席隣の人は寝ている雰囲気があった。あと劇場内で小学生の声がしていて、ジブリだしそりゃ見に来るよなーと当たり前のことを思った。
・2回見ても分からないものは分からないな、と結論づいた。後半の世界に関する設定自体が全然明らかにされないので憶測しかできない。そもそもなんで夏子があの世界で出産しようとしたか、母親の死があの世界での出来事と関係あるのかとか、あの墓って何とか、考察以前の問題な気がする。こういうのって考察するのは面白い営みなのかもしれないが、自分の感想としてやるのは損というか、自分の体感が考察ゲームになってしまってよくないので止め。
・後半の展開の雑多な印象はやっぱり拭えず、積み木の話の唐突さは残り続けるかも。映画の解釈が映画の中だけでとどまっておらず、万事が宮崎駿という人間の解釈に寄りかかっているので見方が難しい。
・素直に描かれるものだけを見ると急に終わるし、「おわり」の文字もないし、どう生きるか問題は死ぬまで終わらないと言いたいのか最後の作品を終わらせたくないのか、すでに終わっていたのか。考える余地が大きすぎる。
・幻想的な出来事を徐々に忘れるのが当たり前で思い出となる小石だけは持っている、これは完全に映画を見ている私たちのことだ。現実に生きていることに比べたら見た内容は忘れていくものだし、そこから持ち出せる物体は映画の半券ぐらいだ。宮崎駿に「映画ってそんなもんよ」と言える貫禄は十分ある。
・なんか昔におじいちゃんが寝る前にやけに熱っぽく語ってくれたおもしれ~話、みたいな感じがずっとする。
・それにしても食事描写の適当っぷりはジブリの受け取られ方の批判って感じもしなくない。パンとバターとジャムの登場するシーンは如何にもな過剰さがあるのだけど片手間で片付けられていて「とりあえず感」がデカい。lo-fi hiphopのような迎合感すらある。あるいは意味合いとしてはほとんど夢世界なので現実味を欠いた幻の食事って部分もあるのでその適当さの筋もある程度通っている。
・暑すぎるのでそのまま帰路。映画を見るだけの外出なのに読まない本を持ちがち。
・またしてもスプラフェスをやっていたけど全然うだつが上がらないな。
・バリューブックスで宮崎駿関連書籍を買ってしまった。