20230712──夢と現実の区別

・体調がどうも変な一日だった。午前中に仕事をしていたら、これってデジャヴュ?みたいな感覚になって自分の存在の確かさが急に不安になった。

・仕事をしている夢を見たときに、それが数か月に一度行う頻度レベルの仕事だったことがある。それ以降、その仕事を行う時に「これって前やったな~~~夢で」と思ってしまい今が夢なのか現実なのかが分からなくなる。それは単なる仕事の手順だけに既視感を覚えるのでなく、締切が近いことや誰かと誰かが相談しあっていたりする職場の雰囲気なんかも合わさって「現実でないはずの夢の再現」を現実世界で感じてしまう体験といえる。

・ちょうど夢と現実の区別ってムズくね?って本を読んでいたのが伏線になっていたのか、そういう状態になってずっとザワザワしていた。とりあえすスケジュールを何度か確認して曜日感覚を取り戻してなんとかした。

・自分が存在していると思える根拠って「そう思っている」ことでしか無いのでかなり薄弱だ。そこが揺らぐと一気に倒れてしまうと思う。多分この状態が加速すると特定の病(びょう)になるんだろうな~という気もしている。心神喪失ってたぶんそう。マトリックス的世界から抜け出せず、現実が現実のように感じられずに自分がいないような感覚はかなり最悪だ。

・自分が存在していることは自分にしか根拠を求められないのは思えば結構変だ。エクセルの循環参照みたいに自分自身を常に参照しモニターして「存在しているな~」と思い続けないといけない。自分というものが連続しているかどうかは記憶が連続していると捉えていることに由来している、みたいな話もあった気もする。今日の自分が昨日の自分の延長線であるのは記憶の連続性によるものだけど、それって本当に連続しているかなんて分かんない。

・『千と千尋の神隠し』で名前を奪われると自己が無くなっていくって描写が合った気がする。自分は自分なんだ~と忘れないようにしないと「何か」になってしまい、それこそが人間であることを含意しているような気もしてきて案外その描写には深い意味があるのかもしれない。自己の強度というか、参照先を他者に求めたりすると依存の問題なんかに発展するんだろうだな。

・なんだかこれってアイデンティティの話かもしれない。部分的にはそうかも。

・そういことを思ったという長文をmisskeyに書いていた。twitterと違って長文を書けるのがよい。ただ、そのインスタンスに適合しているかはさておき……。友人が友人を集めているインスタンスなのだけど面識のない人しかいないのでどういう距離感で接したらいいかわからないが、もはやそういう事を考えずにフラットに接したらええんちゃうかと思っている。これは面倒くさいが故にそうなっているだけでフランクな人柄とかではない。趣味とかが近似しているのか分からないので適当にどんどんアウトプットして結果的に自己開示に繋がればいいかも、ぐらいに思っている。twitterもたまに思ったことを書きなぐるような使い方をしていたことがあるが全然続かなかった。不思議とmisskeyは書きやすい。なんなら日記を書く際のパンくずになればいいかなとも思っている。大抵のことは書かずに忘れるので。

・なんてことを思って帰宅したら閃輝暗点が起こった。ロキソニンを飲んで平沢進やらTHA BLUE HERBやらを大きな音量で聞いて寝た。

・暗くなって回復したので歩きたくて近イ(近所のイオン)まで行った。露出度の高いキャッチの人をムシった。くるりを聞いた。

・オモコロチャンネルの生放送のことを思い出したが意外に早めに終わっていたのアーカイブを見ながら焼きそばを食べた。

・バッドニュースが流れてきた。有名人の自殺というありふれた出来事かもしれないし、自分的にはテレビを全然見ない生活なので接点がほぼ無いがそれが起こる至る要因がインターネットにあることは容易に想像できてしまう。自衛のために情報を遮断する術は必要だ。

・『三体』ではレイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んで人間の本質は悪だと悟ってしまう人物が出てくる。そこだけを読むとそんなか?と思ってしまったが、もっと分かりやすく身近な話題が急に出てくるとそんな気にもなってしまうな。