夢を見たけどうろ覚えで断片的。昼寝をする手前で瞬間的に思い出した。何が計算で有名になった男がいた。それは世間的にはよろしからぬことでもありマルチやネズミ講のようにも思われている。計算式は特定の数字に対して操作を加えることで画面の左に答えが出る。一つ出ると階層が上がりにゲームの進捗のように階層が上がれば上がるほど巧みだとされる。その男はそうやって名声を得たと同時に後にそれを失う。かつての栄光は見る影もなく普通の男として太ってハゲて髭が生え、BARかなにかで生計を立てている。自分はその男の計算に惹かれ師事を請おうとしたのか周囲から止められそうになった気がする。具体的な出来事は覚えてなくて謎の設定と感触だけを思い出した。
仕事初めから二日目、精神衛生がよろしく無いのか不安がとくとくと湧いてきた。この不安の源泉を考えるに仕事の上でやるべきことがあるのに終わらなさそう〜という不安だ。あるいは孤独と歯をぐっとかみしめる
川に黒い鴨、浅瀬を歩くカラス、白鷺を見た。チェアリングといって川辺なんかに椅子をおいて酒を飲む行為がある。水の流れは常に変わるので地味ながら情報量が多い。花見に近いものがあるが鳥も結構そういう類に思えた。鴨を見ながら飲む酒、まだこれに名称は付いていない気がする。
帰路が異様な寒さでこれが冬かと感じた。明らかにギアが変わっている。
M-1の決勝戦を見た。TVerでの配信は終わっていてドコモ系列の知らない配信サイトでネタ部分だけがアップロードされている。自動再生の順序が摩訶不思議でウィキペディアから当日のネタ順を調べてその順番でクリックしていった。
お笑い番組を含めてテレビを観ないので出演者は令和ロマンを除いてほぼ初見。令和ロマンは人に勧められて見ていた。いまの漫才ってこんな感じか〜となった。
確かに面白くて笑ったけど想像が膨らみすぎて肩透かしもややあった。語られるM-1グランプリの面白さが巨大化していて、鑑賞したら笑い転げて脳機能が麻痺するぐらいのものを勝手に想像してた。そんなものは無い。普通に面白いのであって自分には合わないネタはあんまり笑えない。抱腹絶倒の鶴瓶打ちがずっと続く凄いやつかと。こういうときゲラだと得するはず。他人の感想に比べると自分はこのコンテンツから受け取れるはずのものが欠如していてなんだか損した気分になる。
好きなネタは1本目の真空ジェシカとジョックロック。令和ロマンの優勝はあの並びで見たら納得した。おもれ〜もの。
純粋にネタ部分だけを観たので点数やコメントを含めた全体的なM-1グランプリは未体験のままだ。出演者の略歴やら敗者復活なんかも絡んだドラマがあるんだろうけどネタだけを見ているとその辺りの枝葉が必要なのか分からない。加えるとなんで勝敗がここに存在するのかもイマイチよく分からない。
見てて気がついたけど多くの人がM-1グランプリについて語っているのは理解できるからだろう。笑いを完全に理解する必要ないけれど、理解できないネタはあんまり無い。漫才、コント、お笑いに慣れていなくてもボケとツッコミの構造が分かっていれば演じられているネタが分析可能になる。特にM-1はネタを見比べるものなのでネタが全く違っても同じ台に乗せて差異を見させられる仕様になっている。ここがこう違う、定石から外れている、好き、面白い、予想外、鉄板、前振りが効いてる、伏線回収的といった風に切り取れる。こんなことをしても笑いが消えるわけでないのが凄いところだ。
あたりまえだけどめちゃくちゃマスなお笑い番組のひとつなのだから単純に面白いだけでなく、そういうことも可能な形式だから語りが多く生まれるんだろうな。これがM-1に対して偏ったイメージだけを持ったインターネットやりすぎ人間の行く末だ。M-1のおばけは案外小さいことを知った。特別な人にとって特別なだけで、普通に面白い番組としてみても良い。なんかその特別さが人の口を介すると上がってしまう。たぶんお茶の間はもっと素で見ている人がいると思うがわざわざテキストで現れないので認識できない。