・6時過ぎに起床。眠くはないがゴミを捨てモンエナを得る。
・Balatroを性懲りもなくやる。全然勝てない。
・結構やっている割にはあんまり面白みを分かっていない。Slay the Spireが引き合いに出されるが運に左右される要素が大きいのであんまり好みでないのかも。StSはデッキ構築する余地が大いにあるがBalatroのデッキはあまりいじれない。むしろジョーカーの構成こそが本質だ。あと手札の引きが勝負を左右する度合いもStSよりかなり大きい。ダメージによって徐々に体力が減っていくStSと違って取り返しのつかなさが敗北に直結するシビアさがある。
・総じて運に左右されて上手にプレイできていないため楽しいかは分からないのになんかやってしまうゲーム、になっている。ジョーカーの枠を増やすジョーカー、相互のシナジー効果を生めないランばかりだ。
・家を出る直前にスマフォを見失って5分ぐらいロスして危なかった。
・わーわーと仕事。会議に出ていたが話を聞くだけなので内職をしようと目論むもWifiがブチブチ途切れるので諦めるなどしていた。
・いったん帰宅して運動。軽く汗をかいてサラダを食べた。サラダ豆を炒めて豆腐やオイスターソースを投入したものをキャベツの千切りにかけてみた。偽麻婆豆腐みたいなもので、冬のサラダって冷たくて食べる気にならないが温かいソース的なものがあると変わるという発見があった。
・お腹が膨れて映画館へ。館内のトイレ前を通るとき、おそらく男性であろう人がスマフォを見ながら女性用トイレに入っていくのを見て驚いた。その人自体をぼんやりとしか認識してなかったので性別が明らかでないし、もともと見た目から肉体的性別が確実に判断できるわけでもない。それでもトイレのマークを確認していない動作で迷いなく入っていく様子にはギョッとするものがあった。ことの顛末を知りたくてすこし立ち止まっていたが諦めてスクリーンに入った。
・『夜明けのすべて』を見た。評判通りに良くてノックアウトされた。

・催眠術のような映画だった。これの良さを伝えるすべがないというか、映像に込められた言語化できない情感の豊かさがえげつなくて脳みそがボケてしまうほどだった。質感、音楽、画角、構図、動き、光。五感に働きかけられるすべての要素をミックスして観客をどこぞへ誘う感じが抗いがたい魅力になっていた。
・静かな映画であるが眠たくならず、けれど謎の心地よさで満たされている感覚は存在していた。起きているのに寝ているような感じ。
・映画館では多くの他人とスクリーンを共有しているが、目の前の映像が自分ただひとりだけのもののような錯覚さえもあった。見ている場所はシネコンで、大衆娯楽らしいヒーロー映画も恋愛映画もかかっている。そういう場で自分だけのものだと思わせてくれるような映画に出会うことは本当に稀だ。
・語れば語るほど語りえないというか、自分の言葉の陳腐さに釣り合わないなという気持ちだけが膨らむ。この神秘さを保ったままいつまでも味わっていたすぎる。
・普通なことを言うと、主演の二人が恋愛関係にならないのが良いとか、精神的な病状の扱い方が真摯で作劇の都合にしていないのも良いとか、おじさんが泣く/泣きそうになっているシーンがいいとか、エンドクレジットの映像が良いとか、良さの羅列は沢山できる。与謝野羅刹。
・関係性が深まって症状に関する軽口が言い合えている瞬間やべ~~~~とか。プラネタリウムを展開に組み込んでいることや、ドキュメンタリーを撮っている学生がいることとか、物語外の奥行きの深さもすごいとか、全部がもう。
・会社の人たちが優しすぎるだとか、邦画的なあるあるでどちらか片方が交通事故で死にそうかも!って邪念がよぎるとか、重箱の隅的な感想も一部あるけどそれらはいったん全部墓地に送る。
・個人的には登場人物たちのような立場に共通するものはほとんどない。おおむね健康体だし自分のための映画と言うと誇張だし偽だ。でもこの映画を「自分のための映画だ」と確信をもって見た観客は間違いなく存在している。その断定は不思議とある。そういう映画が存在しているのだということ自体にある種の希望を感じた。悲観的で厭世的な人間ながら世界ってまだまだ良いものかもしれないなーと見終わってから思えたりもした。そういう作品が新しく生まれた!言祝ぎ!という気持ちもあり、これから生きていく期待値が上向くようなものに出会えた気がする。
・良い気分で夜の街を歩いて帰った。良い映画を見ると足取りが軽くなる。
・キッチンで蕎麦を立ち食いしてシャワーへ。布団で『大阪SFアンソロジー』で一遍を読んで寝た。23時前だった気がする。