・6時過ぎに起きた。意識して二度寝をした記憶がある。ポケモンスリープのリサーチが面倒なので保留。
・モンゴルナイトフィーバーのバックナンバーを聞きながら『戦場のフーガ』を遊んで朝をつぶした。アイスを食べた。
・なぜかWikipediaの記事をたくさん読んだ日だった。熊害(ゆうがい)の記事にたどり着いたので熊が人を襲った事件の記事を片っ端から読んでいた。クマ、こえぇぇとなった。そのほかは昭和や戦前の事件記事に手を出した。時代がちょっと前の事件は想像するしかない簡素な記述が多くなるのでかえって想像が膨らむ。今読むとなんだそれは、となる部分も面白く感じられる。当然ながら日本各地に歴史に名が残る事件があり、ほぇ~と言いながら読んだ。「ワッパ騒動」なんて知らなかったな。
・帰路、プロテインバーを三本買った。
・『滅ぼす』上巻を読み終わった。後半から読書の勘を取り戻したのか、ミシェル・ウェルベックにアンテナが合ってきたのか分からないがなんか面白くなってきた。ウェルベックの熱心なファンというわけでないので過去作は歯抜けで読んでいる。感覚としては日本における村上春樹にやや近く(村上春樹もちゃんとは読んでいない)、中年男性の家族関係や性関係をぽろぽろと書く傍らフランスを含む世界の政治状況やムードを織り込んでいく作家だなーと思っている。単純に物語が面白いとかでないので文学だ、というざっくりとした認識でいる。
・本作にもエンタメ的な筋はありつつも、やっぱり中年男性の父親や妻との関係にフォーカスしながらフランスの政治状況を参照しつつ進んでいく。上巻のラストでようやくそれが動き始めるのは読み手に向けたサービスのように思いつつも、不穏さにドキドキして下巻が楽しみになった。上巻だけでどういった小説なのかを説明しようとすると結構難しく、粗筋を説明しても伝わらなさそうなウダウダ感こそが面白いところなので小説を読んでるなーって感じがあって良い。
・中トロラジオの切り抜きにようやく着手した。生活の弾力がないのでやる気がなく、とりあえずやるか~の気持ちで取り掛かった。感じる難しさは毎回同じ。
・気が付くと時間が過ぎていたので急ぎながら図書館へ。『滅ぼす』上巻を返し下巻を借りる。予約が入っているらしく、下巻がない可能性を考えていたがそうはならない。読みたい本の上巻がない状態で下巻を抑えるのはちょっと卑怯なんだけども何に抵触するのかはよくわからない。なんだかよくなさを覚える行為なのは確かだ。
・変に疲れながら買い物をした。
・ふっくらすずめクラブを見たりした。あと『アメリカン・ユートピア』を見た。良かった。当時の評判だけを聞いていて劇場で見れなかったやつ。
・まったくトーキング・ヘッズもデヴィット・バーンを知らないので文脈は不明のままショーそのものを楽しんだ。本人は70歳近いらしく、年齢を感じないパフォーマンスがまず凄い。平沢進が歌って踊っていると例えていいのか分からないが、見た目はそんな感じだ。裸足なのも楽しそうに映る。
・文脈といえばタイトルの通りアメリカンなショーだった。スパイク・リーが監督をやっているのも納得な箇所があり、直接的に有権者登録を呼びかける様子も併せて鑑賞すべきタイミングが明確にある映画だった。ジャネル・モネイ作曲の人名を読み上げるメッセージの強さはすごい。2021年公開なので劇場で見ればよかったなぁと惜しい気持ちが出た。もちろん生でも見たいぜという気持ちも。
・舞台に固定された楽器がなく、ベースもドラムもボーカルも動きながらのショーで舞台装置も特にない。ほぼダンスと音と照明での演出だけなのにそこがしっかり練られていて楽しいしカッコよい。音楽もアーティスティックに尖ったものでなく親しみやすく不思議にポップでフレッシュだ。自然と体が動く。
・他人の感想を見るとデヴィット・バーンを全く知らない人がミュージカルだと先入観を持ってしまい、それを理由に低評価をつけていてなんだかな~と思った。自分が知らないことを理由に作品を評価するのは気持ちとして分かるのだけど、それってなに?とは度々思う。想像と違ったのでイマイチだった、という感想を自分も抱くことはあるがそれはそのまま作品の評価にしていいのかは分からない。どんなに美味しいプリンでも茶碗蒸しだと思って食べると滅茶苦茶に不味く感じるのに似ている。それって一回限りの固有の体験すぎてちゃんとした評価でなく「正しくない」と感じる。
・とはいえどんな体験も押しなべて一回限りのその人固有のものなので、「思っていたのと違った」だけを取り出すのは極端な気がする。それに「思っていたのと違った」から良かった、という感想も往々にしてあるし。
・私がその感想に引っかかったのは、自分の知らなさがその人の権威性よりも勝っていると直感しているような愚かさかもしれない。たとえばジャンル内有名人が何らかのニュースで取り上げられるとジャンル外の人からしたら知らない人なので文脈を抜きにして小ばかにされる、みたいなインターネットムーブをたまに見かける。あと最近だと化学を「ばけがく」と読んだvtuberを小ばかにしていたのもあった。自分が知らないことを正当化して疑わない、あまつさえ小ばかにするというのは傍から見ると輪をかけて愚かに見えてしまう。そういうことをやったことある後ろめたさも合わせてなんか嫌だな~と強く感じるんだろうな。
・あと単純に歌詞が分けわかんないよ、みたいな感想もあって、この人とはセンスが合わないなと思ったの大きいかもしれない。曲も歌詞もええやろがい、と強くいっても意味ないしな。