・6時に起床。実際は5時ごろに起きていた気がする。音声放送を聞く。なぜマイナーコードは悲しい感じがする、で説明されるのか?と言われていた。理由はいくつかありそうだ。
・ひとつは人間が同じ種族で構造が似ているから。例えば色。それぞれが感じている色に差異はあるはずなんだけど身体の構成が似ているので感覚も似てくる。赤といえば赤で通じる。言語的な特性も付随するだろうけど太陽がまぶしいのとマイナーコードが悲しく聞こえるのは同じ理屈が通ると思う。
・それとマイナーコードを悲しいと表現するのは文化的な後付けかな。それが悲しさと結びついているのはその文化が一般的になってしまっているからだ。じゃあ赤ちゃんはどう感じるのか?を調べるとその影響がない状態が分かる気がする。そういう実験は既にありそう。たぶんどの赤ちゃんも似たような脳の反応になるだろう。
・近いもので不協和音はなぜ気持ち悪いのか?を考えるとこっちはかなり前者だ。
・理論なのになぜ急に感じ方で説明するのか、に対してはそれでしか説明しようがないからに思える。塩をかけたらしょっぱくなるのと似ている。なぜしょっぱいのかはレシピの範囲外になって美味しく作るのなら塩がもたらす効果を押さえていればよい。ここで根本を知っておいたほうが良いという風向きもあるけれどケースバイケースだろうな。
・仕事。やる気はない。
・帰路。おにぎりをえて食べる。『ヒトラーのための虐殺会議』を見た。嫌ですね~~~となった。
・タイトルの通り会議の映画だった。ずっと会議していてその内容がすごい。各土地を統治?している軍人、役人が職務遂行や利害のために万人単位の人々をどうすべきかを破綻した倫理のもと議論している。虐殺した人数を誇るような場面も多々あって、やべ~~~~となる。見ていて明確にやべ~~~って人もいるがそれに水を差す人も少なからず出てくる。けれどその人物もその場に染まった倫理観ゆえの心配事をしているだけで虐殺の異常さを飲み込んでいる。そこにうわッとなる。
・会議ばかりで動きの少ない映画だし登場人物の地位が複雑ながら議題を通して押したり引いたりしているさまで飽きずに見られた。会議そのものは組織体にありきたりなものなので身近だ。会議の準備や根回し、予想とは違うところで突っ込まれたり盛り上がられたりといった会議あるあるも劇中で描かれる。こいつ気に入らないから下座に座らせよう、とかしょうもないことの延長戦があれらなのでそのギャップもさらに引く。
・妙なところで発揮される遵法精神だったり手続きを重んじる感じは見ていて不思議だ。倫理が終わっているのにそこは正常らしい動きを見せる。価値観はかなり人工的なもので映画内のそれらを異常だと判断している自分の価値観も同程度のクオリティな気さえする。その線引きは人道主義だけではないが異常さは自分から切り離して考えるのはなんか違う気がする。構造的には同じ仕組みの人間なので自分がああなってもおかしくはない。マイナーコードが悲しく聞こえる様みたいに。
・なんかちゃんと伏線回収しているエッセイみたいになってしゃらくさ。シャラクマグナ(フォッサマグナ)。
・買い物のために外へ。歩数も稼ぐがヌル暑い夜。お酒を買ってしまう。
・湯船でふっくらすずめクラブ、オモコロチャンネルを見る。Terra Nilを触る。
・ホロコースト関連の映画を調べたりバリューブックスで買おうとしたり。
・寄ったまま布団へ。toro y moiを再生しながら寝落ちしていた。ワイヤレスイヤホンをケースに押し込んでまた寝た。